キャロル・キング

 キャロル・キング(本名キャロル・ジョーン・クライン、1942年2月9日生)は、1960年代に当時の夫ジェリー・ゴフィンと共にニューヨークのブリル・ビルディング(職業作曲家たちが集まってヒット曲を生み出したマンハッタンはミッドタウンのビル)を代表するヒット・ソングライターとして今はスタンダードとなった数々のヒット曲を様々なアーティストに提供し、1970年代には自らシンガーソングライターとして70年代ポピュラー音楽を代表する歴史的アルバム『つづれおり』(1971)を始め数々の傑作アルバムを発表、後に続く女性シンガーソングライター達に多大なる影響を与えたアイコンとして活躍、それ以降も現在に至るまで活動を続け、近年ではロックの殿堂入りやケネディ・センター名誉賞の受賞など数々の栄誉に輝いている、20世紀後半の音楽シーンを代表する偉大なる女性シンガーソングライターである。

 ニューヨークはマンハッタンのユダヤ系アメリカ人の家庭に生まれたキャロルは、4歳の頃から音楽に興味を示してピアノのレッスンを始めるなど幼少時からその音楽的才能を発揮、高校に入ると名前をキャロル・キングとしてバンドを結成、16歳の頃には初めてのシングルをレコーディングしたという。NYのクイーンズ・カレッジに進学したキャロルは夫婦としてもソングライティングでも1960年代を通じて密接なパートナーとなるジェリー・ゴフィンと出会い、17歳で結婚。長女ルイーズを出産したキャロルとジェリーは大学を辞めて昼間は普通の仕事で家計を支える一方、夜は二人で様々な曲を書き始めた。そうして書いた曲の一つ、「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー(Will You Love Me Tomorrow)」が1961年、黒人女性3人組のザ・シレルズのシングルとしてビルボード誌Hot 100の1位に輝き、黒人ガールズグループによる初の全米ナンバーワンとなると共に、二人を名実共にヒット曲ソングライターチームとしてシーンに知らしめることとなった。

 この成功で昼間の仕事を辞めてソングライティングの仕事に専念することとなった二人は、その後も白人ポップ・シンガーのボビー・ヴィーの全米ナンバーワン・ヒット「サヨナラ・ベイビー(Take Good Care Of My Baby)」(1961)、後にビートルズもカバーする、黒人ガール・グループ、クッキーズのヒット「愛のくさり(Chains)」(1962年17位)、ルイーズのベイビーシッターからシンガーとなったリトル・エヴァの全米ナンバーワン・ヒット「ロコ・モーション(The Loco-Motion)」(1962)、白人ポップ・シンガーのスティーヴ・ローレンスのこれもナンバーワン・ヒット「かなわぬ恋(Go Away Little Girl)」(同年)、黒人R&Bグループ、ドリフターズの「小さな幸せ(Up On The Roof)」(同年5位)など立て続けにヒットを飛ばし、一躍人気ヒットソングライター・チームとしてのシーンでの存在感をわずか1年ほどの間に確立することになった。

 しかしそんな絶好調の二人の間には少しずつ秋風が吹き始め、モンキーズに提供した「プレザント・バレー・サンデイ(Pleasant Valley Sunday)」(1967年3位)やアレサ・フランクリンの名唱で知られる「ナチュラル・ウーマン((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)」(同年8位)といった大ヒット曲発表を最後に1968年キャロルはジェリーと離婚。キャロルはNYから、当時ジョニ・ミッチェルやジェイムス・テイラー、ジャクソン・ブラウンら若手の自由なミュージシャン達がコミュニティを作っていたロサンゼルス郊外のローレル・キャニオンに2人の娘と引っ越して心機一転を図った。そこでギターのダニー・コーチマー(後にセクション、ドン・ヘンリーのソロ作のプロデュース等で活躍)、ベースのチャールズ・ラーキー(1970年にキャロルと結婚)と出会ったキャロルは、ザ・シティというバンドを結成、当時は商業的に成功しなかったが後にフォーク・ロックの名盤として再評価を受けるアルバム『夢語り(Now That Everything’s Been Said)』(1968)を発表するがバンドは翌年解散。そんな方向性に悩んでいたキャロルにシンガーソングライターとして活動することを強く勧めたのが、友人で詩人のトニ・スターンだった。

 キャロルは1970年、60年代にダンヒル・レコードの創設者としてママス&パパスやグラス・ルーツらを大ヒットさせた音楽プロデューサーのルー・アドラーの新レーベル、オードから初ソロアルバム『ライター』をリリースして、ソロ・シンガーソングライターとして本格的に活動開始。しかし彼女が一気に大ブレイクしたのは、次にリリースしたアルバム『つづれおり』の大ヒットだった。全米アルバム・チャートに302週間チャートインして、15週間1位を記録したこのアルバムには、5週間全米ナンバーワン・ヒットとなったトニ・スターンとの共作曲「イッツ・トゥ・レイト」や、自作の「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」「ナチュラル・ウーマン」の瑞々しいセルフ・カバー、同時期にこのアルバムにギターで参加していたジェイムス・テイラーがカバーして同じく全米ナンバーワンを記録した「きみの友だち(You’ve Got A Friend)」など、今もクラシックとして歌い継がれる数々の名曲が収録され、1972年第14回グラミー賞で最優秀アルバム部門を受賞。また「イッツ・トゥ・レイト」はレコード・オブ・ジ・イヤー、「きみの友だち」はソング・オブ・ジ・イヤーを受賞、キャロルはソロ2作目で女性シンガーソングライター作品の金字塔を打ち立てたのだった。

 キャロルはその後もオード・レーベルから、70年代を通じて『ミュージックMusic』(1971)、『喜びは悲しみの後に』(1972)、『ファンタジー』(1973)、『喜びにつつまれて』(1974)、『サラブレッド』(1976)といった70年代シンガーソングライターシーンを代表するヒット・アルバムを次々にリリースする一方、1973年にはNYのセントラル・パークで10万人の観衆を集めたフリー・コンサートを決行。ルー・アドラーが16mmフィルムに収めていたこの時の様子は今年2023年に、ドキュメンタリー映画『キャロル・キング ホーム・アゲイン〜ライブ・イン・セントラル・パーク』として日米で公開され、当時のNYを代表するスタジオ・ミュージシャン達をバックにキャロルが伸び伸びと自らのレパートリーを歌う当時の彼女の充実した様子がいきいきと描かれている。またこの時期、キャロルを敬愛する日本の五輪真弓のLA録音のデビューアルバム『少女』(1972)制作にあたって、当時の自分のバンドを提供、自らもピアノで参加してバックアップするなど、この当時から日本とのつながりもあった。

 1976年に2人目の夫チャールズ・ラーキーと別れ、翌年レーベルをキャピトルに移り9作目のアルバム『シンプル・シングス』をリリースするが始めてトップ10に届かず。そしてこのアルバムで出会ったソングライター、リック・エヴァーズとの3回目の結婚も翌年リックのコカイン過剰摂取による他界で終わりを告げるなど、1970年代後半はキャロルにとって不運が続く時代となった。続く1980年代もコンスタントに作品をリリースするものの、残念ながら70年代前半のような圧倒的な輝きを取り戻すには至らなかった。それでも1990年にはジェリー・ゴフィンと共にソングライターとしてロックの殿堂入りを果たし、同年初の来日公演も行っている。

 一方この時期からキャロルは音楽以外の分野に活動の範囲を広げ始めていて、1988年にオフ・ブロードウェイの演劇に出演したのをきっかけに、1990年代にはブロードウェイ・ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ(Blood Brothers)』(1994)やアイルランドでのニール・サイモン作の劇『思い出のブライトン・ビーチ(Brighton Beach Memoirs)』(1996)に出演したり、トム・ハンクスとマドンナ主演の『プリティ・リーグ(A League Of Their Own)』(1992)や同じくトム・ハンクスとメグ・ライアン主演の『ユー・ガット・メール(You’ve Got Mail)』(1998)などの映画に主題歌を提供、前者の「ナウ・アンド・フォーエバー」はグラミー賞のヴィジュアル・メディア向け最優秀ソング部門にもノミネートされた。また、キャロルは70年代以降、政治・社会活動も活発に行なっていて、有名な民主党支持者として2004年合衆国大統領選ではジョン・ケリー上院議員を、2008年にはヒラリー・クリントン上院議員を支持するためメディアに登場する一方、1977年にアイダホに引っ越してからは環境保護活動にも積極的に参加し、ロッキー山脈のエコシステム保護法の可決に向けて今に至るまで長年活動を続けている。

 キャロルが久しぶりに新しい作品とともにファンの前に登場したのは21世紀がスタートした2001年。アパレル小売のギャップ社のTVCMに娘のルイーズと登場したキャロルは、8年ぶりとなるオリジナル・フル・アルバム『ラヴ・メイクス・ザ・ワールド』のタイトル曲を披露し、その年アルバムをリリース。ベイビーフェイス、セリーヌ・ディオンらをゲストに迎え、キャロル・ベイヤー・セイガーやデヴィッド・フォスターらとの共作曲も収録されたこのアルバムには、70年代の全盛期と少しも変わらぬキャロルの歌声と、あの頃を彷彿とさせるような心温まる楽曲の数々が収録され、古くからのファンにとってはまたとない新世紀のオープニングにあたってのプレゼントとなった。更に2004年にシカゴやLA、マサチューセッツ州で行ったコンサートを収めたライブアルバム『ベスト・ヒッツ・ライヴ〜リヴィング・ルーム・ツアー』(2005)のリリース、2007年メアリー・J・ブライジやファーギー(元ブラック・アイド・ピーズ)とジョイントの来日ツアー、更には2010年には1970年以来40年ぶりにLAのライブハウス、トルバドールで40年前と同じジェイムス・テイラーとの「トルバドール・リユニオン・ツアー」を大成功のうちに開催、同じメンバーで同年来日ツアーも行うなど、60台後半とは思えないほど精力的なライブ活動で再び新たな輝きを放ち始めた。

 2010年代に入ると、キャロルはニューヨーク・タイムスのベストセラーとなった自伝『ナチュラル・ウーマン(A Natural Woman: A Memoir)』(2012)の出版、彼女の半生を描いたブロードウェイ・ミュージカル『ビューティフル(Beautiful: The Carole King Musical)』(2014)の上演と大成功(キャロルを演じたジェシー・ミューラーは第68回トニー賞でミュージカル部門最優秀主演女優賞を受賞。日本でも2017年に公演)、2016年にはロンドンのハイド・パークで開催された「ブリティッシュ・サマー・フェスティバル」のヘッドライナーを務めて『つづれおり』の全曲再現ライブを初めて行う(このライブの様子は2023年末現在彼女の最新アルバムである『つづれおり:ライヴ・イン・ハイド・パーク』に収録されている)など、引き続き精力的な活動を展開。一方で、長年の彼女の功績を称える受賞もこの頃から相次ぎ、2012年の米国議会図書館からはポピュラー音楽への貢献に対して贈られるガーシュウィン賞(女性としては初受賞)、2013年のグラミー賞生涯功労賞とバークリー音楽大学からの名誉音楽博士号の授与、2015年のケネディ・センター名誉賞受賞(受賞式で故アレサ・フランクリンが歌った「ナチュラル・ウーマン」はキャロル自身の大きな感動を呼んだ名唱として知られる)、そして2021年ソロ・アーティストとして2回めのロックの殿堂入りなど、彼女の60年以上にわたるポピュラー音楽発展に対する功績への評価は高まっていく一方だ。

 キャロル自身も齢80を超え、あの『つづれおり』のリリースから50年を超えた今も、「イッツ・トゥー・レイト」「ナチュラル・ウーマン」「きみの友だち」といった彼女の名曲の数々は20世紀後半のポピュラー音楽を代表するスタンダードとして、様々なアーティストたちに歌い継がれている。また、キャロルがロール・モデルとなった、女性シンガーソングライターという表現スタイルも、近年のテイラー・スウィフトやアデルといったスター達の名前を挙げるまでもなく、今や音楽シーンを代表するスタイルの一つ。そんな彼女の60年以上にわたるキャリアを総括する企画の一つとして、2014年の伝記ミュージカル『ビューティフル』のソニー・ピクチャーズによる映画化が現在進められているとのこと。映画では何かとキャロルと縁の深いトム・ハンクスがプロデューサーを務めるこの映画の公開は、既に多くの賞賛を受け続けているキャロルの輝かしいキャリアの総括となるに違いない。

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米でのチャート実績)

1.主なアルバム

1970年   『ライター(Writer)』 (Ode/A&M) – US 84位

1971年   『つづれおり(Tapestry)』(Ode/A&M) – US 1位(15週、14xプラチナ)、UK 4位(2xプラチナ)

              『ミュージック(Music)』 (Ode/A&M) – US 1位(3週、プラチナ)、UK 18位

1972年   『喜びは悲しみの後に(Rhymes & Reasons)』(Ode/A&M) – US 2位(ゴールド)、UK 40位

1973年   『ファンタジー(Fantasy)』(Ode/A&M) – US 6位(ゴールド)

1974年   『喜びにつつまれて(Wrap Around Joy)』(Ode/A&M) – US 1位(1週、ゴールド)

1975年   『おしゃまなロージー(Really Rosie)』(同名ミュージカルのサウンドトラック盤)(Ode/A&M) – US 20位

1976年   『サラブレッド(Thoroughbred)』(Ode/A&M) – US 3位(ゴールド)

1977年   『シンプル・シングス(Simple Things)』(Capitol) – US 17位(ゴールド)

1978年   『グレイテスト・ヒッツ(Her Greatest Hits: Songs Of Long Ago)』(ベスト盤)(Ode/Epic) – US 47位(プラチナ)

              『ウェルカム・ホーム(Welcome Home)』(Capitol)- US 104位

1979年   『タッチ・ザ・スカイ(Touch The Sky)』(Capitol) – US 104位

1980年   『パールズ:ソングス・オブ・ゴーフィン&キング(Pearls – Songs Of Goffin & King)』(過去のジェリー・ゴフィンとの共作曲のセルフカバー集)(Capitol) – US 44位

1982年   『ワン・トゥ・ワン(One To One)』(Atlantic) – US 119位

1983年   『スピーディング・タイム(Speeding Time)』(Atlantic)

1984年   『シティ・ストリーツ(City Streets)』(Capitol) – US 111位

1993年   『カラー・オブ・ユア・ドリームス(Colour Of Your Dreams)』(Rhythm Safari/Kings X)

1994年   『イン・コンサート(In Concert)』(ライブ盤)(Rhythm Safari/Kings X) – US 160位、UK 97位

              『私花集〜オード・コレクション(1978-1976)〜(A Natural Woman: The Ode Collection (1968-1976))』(Odeレーベル時代のベスト盤)(Epic/Sony Legacy) – UK 31位(シルバー)

1996年   『カーネギー・ホール・コンサート(The Carnegie Hall Concert: June 18, 1971)』(NYカーネギー・ホールでのライブ盤)(Epic/Sony Legacy)

2001年   『ラヴ・メイクス・ザ・ワールド(Love Makes The World)』(Rockingale/KELA/Koch) – US 158位、UK 86位

2005年   『ベスト・ヒッツ・ライヴ〜リヴィング・ルーム・ツアー(The Living Room Tour)』(ライブ盤)(Rockingale/Hear Music) – US 17位

2010年   『トルバドール・リユニオン(Live At The Troubadour)』(ジェームス・テイラーとのLAトルバドールでの共演ライブ盤)(Concord/Hear Music) – US 4位(ゴールド)、UK 33位

              『The Essential Carole King』(ベスト盤)(Ode/Epic/Legacy)(UK シルバー)

2011年   『A Holiday Carole』(クリスマス・アルバム)(Rockingale/Hear Music) – US 52位

2012年   『レジェンダリー・デモ(The Legendary Demos)』(1960年代のキャロルのデモ音源集)(Hear Music) – US 56位

2015年   『ビューティフル・コレクション〜ベスト・オブ・キャロル・キング(A Beautiful Collection)』(ベスト盤)(Sony) – UK 32位

2017年   『つづれおり:ライヴ・イン・ハイド・パーク(Tapestry: Live In Hyde Park)』(ロンドンのハイドパークでのライブ盤)(Legacy)

 

2,主なシングル(USAC=USアダルト・コンテンポラリー・チャート)

1962年      「It Might As Well Rain Until September」- US 22位、UK 3位

1963年      「He’s A Bad Boy」- US 94位

1971年      「イッツ・トゥ・レイト(心の炎も消え)(It’s Too Late / I Feel The Earth Move)」- US 1位(5週、ゴールド)、USAC 1位、UK 6位

                 「ソー・ファー・アウェイ(去りゆく恋人)(So Far Away / Smackwater Jack)」- US 14位、USAC 3位

                 「You’ve Got A Friend / Beautiful」

1972年      「スウィート・シーズンズ(夢多き年ごろ)(Sweet Seasons)」- US 9位、USAC 2位

                 「なつかしきキャナン(Been To Canaan)」- US 24位、USAC 1位

1973年      「ヒューマニティ/微笑にささえられて(Believe In Humanity / You Light Up My Life)」- US 28位、USAC 6位(You Light Up My Lifeのみ)

                 「コラソン(Corazon)」- US 37位、USAC 5位

1974年      「ジャズマン(Jazz Man)」- US 2位、USAC 4位

1975年      「ナイチンゲール(Nightingale)」- US 9位、USAC 1位

1976年      「愛だけが真実(Only Love Is Real)」- US 28位、USAC 1位

                 「遠い想い出(High Out Of Time)」- US 76位、USAC 40位

1977年      「ハード・ロック・カフェ(Hard Rock Café)」- US 30位、USAC 8位

                 「シンプル・シングス(Simple Things)」- USAC 37位

1978年      「Morning Sun」- USAC 43位

1980年      「ワン・ファイン・デイ(One Fine Day)」- US 12位、USAC 11位

1982年      「ワン・トゥ・ワン(One To One)」- US 45位、USAC 20位

1989年      「シティ・ストリーツ(City Streets)」- USAC 14位

1992年      「ナウ・アンド・フォーエバー(Now And Forever)」- USAC 18位

*  USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。UKではアルバムはシルバー=6万枚、ゴールド=10万枚、プラチナ=30万枚(2x=60万枚)の売上によりBPI(英国レコード産業協会)が認定。2023年12月現在。